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spicy for you 前編 (こぶたのヒトリゴト。・マックちゃんさん)


愛しい君に似合う香りは、いったい何だろうか。


何度か抱き締めた事のある華奢な身体からは、いつも淡いサボンの香りがふわりと立ち上がり鼻孔をくすぐった。
確かに、可愛らしい物が大好きで清潔感を忘れない君にはぴったりの香り。
時々誰の予想もはるかに超えて行ったりする一面も、それもまたスパイシーで飽きないのだけど。


でも、誰もが目を見張るスピードで大人の階段を駆け上がっている今の君だからこそ、もっと似合う香りがあるのではないだろうか?

成長期のしなやかさを表現した爽やかなミドルノート。可愛らしさを表現するのは、優しいトップとフルーティーな甘さのラストノート。
そして俺の心を捉えて離さない、切なさを誘うほんの少しのスパイス。


例えば、そう。こんな香り―――



『spicy for you』 前編



「―――蓮、聞いてるか?」


ハンドルを握ったまま思考の殻の内に籠っていた蓮は、隣に座る社に声を掛けられてハッと意識を目の前に戻した。

「すみません、半分ほどしか・・・」
「おいおい・・・今日の撮影の事なんだぞ?ちゃんと聞いててくれよー。」
「すみません・・・」

仮にも運転中に考え事とはいただけない。
それでもし事故でも起こしたりしたら・・・とんでもない話だ。
社が呼びかけてくれるのがもう少し遅ければ、大きな交差点に信号確認もせずにそのまま突っ込んでいたかもしれない。

危険運転しかけていた事実は事実。ここは素直に謝罪する。

「半分って言うと、どこから聞いてないのかな?堀田莉奈ちゃんが最終的にクビで決定したのは聞いてたか?」
「ええ、そこは。黒崎監督と派手にやってましたからね、あれでは撮影なんて無理ですよ。


堀田莉奈とは、本日撮影されるCFで蓮の相手役を務める予定だった新進気鋭の女優だ。
アルマンディが数年ぶりに新しい調合で香水を発表する、その日本用のCFでは男性は専属である蓮を。そして女性は堀田莉奈を起用する事で話が進んでいた。

もともとアルマンディのCFは、日本で流す物でも海外のモデルを起用する場合が多いが、今回は恋人と一緒に日常のシーンで使って欲しいユニセックス用。
看板やTVCMなどを目にした女性の誰もが、蓮の相手役に自分を置き換えやすいよう同じ日本人で宣伝展開していくことにしたのだ。
勿論、視聴者が蓮の「恋人」に変換されやすいように相手役の女性の顔は映さない。その事が莉奈のお気に召さなかったらしい。

「実は、向こうの事務所も顔出しNGって所に納得してなかったらしくてね。でも『世界のアルマンディ』のCFに大抜擢って形だから、渋々了解してたらしいんだ。」
「まぁ・・・彼女は今イチオシの女優ですからね。顔を出させたい気持ちはわかりますよ。」

確かに、今最も旬と歌い、とにかく売り出したい事務所の戦略に「顔出しNG」は少し添わないだろう。
それでもCFが好評だった場合に、続く第2弾・第3弾で顔出しの機会が得られるかもしれない。
何よりも、通常であれば専属以外のモデルを起用する事のない世界的有名ブランドからのオファーだ。この大抜擢の先にあるメリットを考えて事務所はOKを出したようだ。

しかし、莉奈は違った。

実はずっと昔から蓮に憧れて、落ちはしたがLMEのオーディションを受けた過去も持つ莉奈は、蓮の相手役が出来るならとオファーの内容をほとんど聞かずに二つ返事で了承していたようなのだ。
だが、一昨日の事前ミーティングで顔出しのない役と初めて知り、癇癪を起した。

「私は他の誰かに簡単に置き換えられるような、そんなチープな演技なんてしないわ!


アルマンディの日本支店トップが推した事で決定した女性モデル、莉奈の主張。
しかし今回CFを担当するのは、アール・マンディ氏に『日本での展開を是非この男に任せたい!』とまで言わせたCMクリエイター、黒崎潮だ。

日本支社トップの力と、ブランド創始者の力。
そしていくら顔が売れてきているとは言え、未だ新人の女優と、国外からも実績を評価され始めた若きクリエイター。

どちらの力が強いかなど一目瞭然・・・その前に、莉奈の私情が通るわけもないのだが。
黒崎は莉奈に散々喚かせた後「お前みたいな奴はクビだ、クビ!!」と、泣いて謝るマネージャー諸共会議室から叩き出したのだった。


「俺らが帰された後、あっちの社長まで出てきて平謝りだったらしいよ?
でも社長も顔出しの件納得してなかったと分かって、日本支社のお偉いさん方ももう黒崎監督に逆らえなかったとか・・・
もともと彼女、社長でも手を焼く程の短気な性格だったらしくてさぁ。
でも顔は可愛いし演技は磨けば光るいい物があったし、何としても彼女を一流に育ててあげたかったらしいんだ。」
「そうですね。俺も彼女の出演作は見ましたが、なかなかの演技力を持っていましたからね。」
「それで普段の撮影では、とにかく短所はひた隠しにさせて悪評が立たないようにしてきたみたいなんだけど・・・憧れのお前に会えて、舞い上がって制御できなかったらしいよ?」
「なんですか、それは・・・」

まるで俺が悪いみたいに言わないでくださいよと続けると、社がくくっと噛み殺したような笑いをする。

莉奈の事は事前に相手役だと聞かされていたので、蓮は彼女の出演作を数本確認していた。
まだ少し荒削りな部分はあると思うが、LMEに次ぐ大手事務所が有望視するだけの事はある演技だという印象を受けた。
感情の乗せ方がうまい、この子ならそんなに誘導しなくとも自分の期待する演技で応えてくれそうだな―――
深夜にロックグラスを片手にチェックしながら、今回のCF撮影を楽しみにしていた。

「お前って本当に罪な奴だよな~。お前の恋人役は嬉しいけど、自分の後ろ姿に視聴者が投影されるのが嫌だって・・・完っ全な独占欲じゃん。」
「そこまで思ってもらえるのは嬉しいですよ。好意を持ってくれる仕事仲間やファンを大事にしないと、この世界では生きていけませんし。」
「ハイハイ、そうですね~。モテる男の余裕ですね~。」

おちゃらけた調子の社に蓮は「この人は・・・」とため息を吐きたくなったが、次の社の一言で呼吸が乱れ、吐こうとした息はひゅっと喉の奥へと戻された。

「キョーコちゃんにそういう独占欲丸出しの共演者やファンが付いても、お前は冷静でいられるんだな?



それは―――別問題だ。
蓮は即座に社の言葉を頭の中で否定した。


いまだラブミー部在籍中の最上キョーコ・・・蓮の想い人は、自分に向けられる恋愛色にめっぽう疎く、そして自身を過小評価している。
だから共演者から猛烈アピールを受けていても「私なんかにそういう意味で声を掛ける人はいない」とはなから決めつけて思いっきりスルーしているようだ。
それは「もう!敦賀さんたらお上手なんですから!」と同じようにスルーされている蓮も、ほんの少し同情できなくもないが。

彼女が誰からアピールを受けているのかをさりげなく本人や関係者から聞き出しては、相手方に釘を刺しに行く。
馬の骨排除に日頃勤しむ蓮としては、これ以上無自覚に人を誑かさないで欲しいと思っているくらいだ。


(だいたいあの子は隙がありすぎるんだ!何故自分の魅力に疎いかな・・・独占欲の強い共演者?冗談じゃない!!)
「あ、あの・・・蓮君?悪かったよ、俺が悪かったからそんな人を射殺せそうな目をするなよ!」

アクセルを踏み込む足に自然と力が入り、徐々にスピードを上げていく車と『温厚紳士な敦賀蓮』の仮面が剥がれかけている横顔に、社が慌てて詫びを入れる。
はっと気が付くと法定速度を超えてしまっていて、これではスタジオに付く前に白バイあたりにお世話になってしまいそうだ。
そろそろ信号にもひっかかりそうなので、スピードを落としながら蓮は「失礼ですね、普通の顔です。」と答える。

ちらりと助手席を見やると、社の顔は恐怖に引き攣っていて「普通じゃない!絶対怒ってた!」と、思っている事がダダ漏れだった。
やがて、本当に信号が黄色から赤に変わり、ずっと踏み込んでいたアクセルからブレーキへと足を移す。
車が一度止まった事でほっとした社が「でもさ・・・」と言葉を発した。

「結局、莉奈ちゃんがクビなら相手は誰になるんだろうな?今日スケジュール通りに撮影をするからには代わりの子を見つけたって事なんだろうけど・・・

「そうですよね。社さんもご存じないんですか?」
「うん、この話は今朝事務所に行った時に社長から直々に聞いたんだよ。それと、新しい相手役については「蓮も知ってるから大丈夫!黒崎君も気に入ってるし、絶対うまくいくから♪」の一言だけ言われた。」
「俺も知ってる・・・誰でしょう。うちの所属って事ですか?

「さあな。もしキョーコちゃんだったら、蓮くん嬉しいよね~♪」


もし相手役が最上さんだったら・・・蓮は一瞬考える。

注目のドラマに二期連続で出演していた話題性からコンスタントに仕事が入るようになり、最近では事務所や局ですれ違う事さえ叶わないでいるキョーコ。
あの子の笑顔に会うことが出来ると思うと、それだけで一瞬ふわりと口元が緩みかける。

しかし、信号が青になるのと同時に気を引き締め直した。

「別に、特には嬉しくありません。
一昨日見せてもらったCFのイメージコンテ、お忘れじゃないですよね?」
「ああ、アレか・・・アレはキョーコちゃんにはさせたくないか。

「彼女はまだ17歳ですよ?早いです。」
「うん・・・うん・・・・・複雑なオトコゴコロだねぇ。」

何かに気付いたらしい社は、蓮の心の内を「でもさ、あれだよね
と推測であれこれ言い出し始めるが、もう蓮はスルーだ。
車の多い大通りから一本脇道へ入ると、店舗も自社のスタジオも全部入っているアルマンディ日本支社の関係者用駐車場への入り口が見えた。

「社さん、もう着きますから少し静かにお願いします。」


誰が相手役でも、自分は自分の仕事をするだけだ―――
きゅっと口元を引き締めると、蓮は地下駐車場へ続く坂道にゆっくりと車を滑り込ませた。







「あれ・・・蓮くん。俺、疲れてるのかな・・・」
「いえ、多分同じものが俺にも見えてます。」
「そうだよね、あんなドぎついショッキングピンクを見間違えるはずないよね・・・」

本日の撮影を行うスタジオが入っている階へと上がってきた蓮達は、スタジオ手前にあるパブリックスペースで黒崎監督と話す後姿に見覚えがありすぎて、思わず固まってしまっていた。

その場にいる誰もの目を引くショッキングピンクのつなぎ。
夏仕様の半袖短パンからは白くほっそりとした手足が伸びる。
その背中に見えるは所属事務所特別セクション「ラブミー部」の大きなロゴ。

そして黒崎がガハハと笑う声に反応してさらさらと肩上で揺れる明るい茶髪が、二人が良く知る人物で間違いないと確信させた。

「よぉ、敦賀くん!待ってたよ!

「あ。おはようございます敦賀さん、社さん。」

仲よさげに談笑するその姿に、呆然と立ち尽くした蓮と社。
二人に先に気が付いたのは黒崎だった。
声を掛けた事で、続いて栗色の髪がぱさりと揺れてこちらを向く。

思った通り、それは車中で話題に上がった人物の一人。最上キョーコその人であった。

ニコニコと笑いながら二人の元へ寄ってくる黒崎に「おはようございます、今日はよろしくお願いします」と挨拶をすると、その後ろからゆっくりと近付いてくるキョーコの姿をちらりと見ながら蓮は事の詳細を聞いてみた。

「あの、彼女は・・・?」
「いやぁ。おたくの社長に堀田の話をしたら「君を満足させられる、とっておきの人材を用意するよ!」と言ってくれてね? もうあんなバカ女みたいなのはいらないって言ったら、「京子」をよこしてくれたんだよ。
この子は俺がデビュー作品を撮ってやったし、結構気に入ってんだ。
例えばさ、一流ブランドのCF撮影にこんなイカれたユニフォームを堂々と着てくるこの度胸とかな。ここの専属モデルに推薦してやりたいくらいだね!

「はぁ・・・」

「何度見てもこの色はねーよなー」と笑い飛ばす黒崎の言葉に、その後ろにいるキョーコが遠い目になった。

そう言えば、彼女がデビューを飾った『キュララ』のCMの監督が黒崎だった。
そうか、彼もまた「最上キョーコ」という人物に魅せられた一人だったのかと、蓮は妙に納得した。

街中でも目立つこのツナギを着てきたという事は、社長にはきっと「ラブミー部員一号への依頼
と言われたのだろう。
そして、莉奈の一件でげんなりしていたアルマンディのスタッフ達は、度肝を抜かれたに違いない。
しかし、社長がこのツナギをキョーコに着せた事は正解だと、蓮は思った。

このド派手なショッキングピンクからはきっと誰も想像できない、今時の少女にしては珍しい程礼儀正しいキョーコの素顔は好印象を与えただろう。
そして半袖短パンから見える、程よい筋肉の付いたしなやかな手足と白い肌。
それらは若々しいのびやかな印象で、キョーコの魅力をいやらしくなくアピールしている。

堀田莉奈との違いを魅せるにも、ギャップ萌えを提供するにも間違いのない選択だ。
・・・だが。


(社長!どうしてこのCFに彼女を推したんですか!!)
「あ、あの・・・敦賀さん?何を怒っていらっしゃるんですか?」

蓮の怒りの波動を敏感にキャッチしたキョーコは、恐る恐る蓮にお伺いを立ててきた。
自分が何かしてしまったのだろうかと、潤ませた目で下から覗き込む彼女の顔はまるで小動物のよう。
文句なしに可愛らしい仕草は蓮の理性をぐらりと揺さぶる。

何もしていない。彼女は何もしていない。だけど・・・

「いや、怒ってはいないんだけどね?
・・・最上さん。君さ、このCFが自分に回ってきた経緯とか内容とか。そう言うの、全部聞いてる?」
「? はい。堀田莉奈さんが降りられた代役ですよね?」
「まあそれは経緯だよね。どんなCFか、社長からちゃんと聞いた?」
「えっと・・・敦賀さんの恋人になる妖精の役で、少しだけ絡みはあるけど顔は映らない役だと・・・


そこまでキョーコが答えたところで、蓮は盛大に溜息を吐いた。

(やっぱり。一番大事な所を説明してなかったのか・・・)
「えっ!?敦賀さん、私何か間違ってるんですか!?」

キョーコの言う事に間違いはない。
確かに蓮がもらった絵コンテでも、実際にCMとして流される部分は最後の数秒しかキョーコと蓮は身体的な接触を持たない予定だ。
あくまで蓮の視線で、相手役の女性の背中やアクションで、二人の間に起こる事象を表現していく。

だが、社長から受けたであろう説明には一番大事な事柄が抜けていた。
蓮がこのCFでキョーコと共演したくない、最大の理由―――

「あのね、最上さん・・・その少ししかない絡みで、俺達は二人とも裸なんだよ?」
「は、はだ・・・っ!!??」

その蓮の言葉に、キョーコは絶句した。
予想通りのその反応に蓮もうーんと頭を抱えたくなる。


今回のCFのコンセプトは、「妖精をも虜にする、魅惑の香り」。

蓮が身に纏う香りに魅せられた妖精が、彼の恋人になる為に自らその虹色の羽根を捨ててしまう。
しかし彼が愛情と共に彼女に香りを吹きかけると、安らいだ彼女の背から美しい羽根が甦る。
彼の腕の中で、何度でも彼女は妖精へと戻ることが出来るのだ。

全てを投げ打ってでも欲しいと思わせる魅惑の香り。
だけどそれはただ蠱惑的なだけでない、愛を育む安らぎにもなる香り。

男女共に使える、爽やかさと甘さが絶妙に配合された高級感漂う優しい香りの香水。
それを蓮とキョーコ、二人の総てで表現するのだ。


「はっ・・・はだか・・・」

顔を真っ赤にして口をはくはくさせているキョーコを見て、蓮は溜息を吐いた。

このCFを大成功させれば、彼女はトップスターへの道をまた一歩進めるだろう。
蓮とて愛しいキョーコの活躍を邪魔したいわけではないし、彼女の演技力なら黒崎監督の要求にも間違いなく応えられる。
そして、自分と対等に―――いや、おそらく自分以上に人を魅せる演技で、この商品を広めてくれるだろう。

問題は、キョーコの肌を大勢の人の前に晒すという事だ。
まだ未成年である想い人の肌を、例え背中だけだとしても見せなくてはいけない――-見るのが同性でも異性でも、その眼をひとつ残らず全て潰して回りたい。
怒りが体の奥底からふつふつと湧き上がってくるのを蓮は感じた。

それに・・・正直な所、蓮が一番恐怖に感じていたのは自分自身だった。
恋焦がれている彼女の素肌に触れた時、ちゃんと正気を保ったまま演技できるのか・・・危うい自分の理性が一番心配なのだ。

「社長から言われた仕事だとしても、最上さんはまだ未成年なんだから肌の露出が多い内容の仕事は避けた方がいいと思うんだ。
そもそも、君はもう少ししっかりと話を聞いた方がいいと思うよ。
あの社長が急に持ってきた仕事だよ?何かおかしいとか思わなかったの?」
「うう・・・そりゃ、急すぎて少しおかしいな?とは思いましたけど、ラブミー部への仕事なんていつも突発的ですし。
どんなにフザけてるように見える内容でも、社長が何も考えなしで仕事持ってくるはずないですし・・・

「まあ・・・それは、そうだけど。」

ううと唸りながらブツブツ呪詛のように唱えるキョーコの言葉に、少しだけ納得する。

確かに格好も相当に派手だし、言動も愛が絡むとおかしなテンションになるLMEのトップ・ローリィ。
ふざけている様にも見えるが、しかしあれでもLMEという事務所をここまで成長させた切れ者だ。
彼がよしとするならば、そこには必ず何か理由があるに違いない。

(でもな・・・)

今回のCFの件は、本当のオモチャにされているのは自分であると蓮は感じていた。

代役とは言え一流企業からの大抜擢を受けた片想い中の少女と、恋人と言うオイシイ設定。
そして、彼女の素肌から立ち上る体温を感じながらの撮影。
以前ローリィから「じゃ、こよりか」とまで揶揄された理性の紐の強度を、今まさに試されようとしている―――
そんな気がして溜息しか出てこない。

「最上さんもそのうちラブシーン等で肌を晒す機会が来るかもしれないけど、もう少ししっかり内容を確認するようにしようよ。
色気って言うのはただ脱げばいいだけじゃないよ?「視聴者の想像を掻き立てるような」立派な演技者であれば、例え服をしっかり着込んでいても人々は情事の有無をその演技者から想像する。
どこまで肌を露出しなくてはいけないのか、そういう細かい部分までしっかり制作側と明確にしていかないといい様に撮られてお終いだよ?そんな安っぽい女優に君はなりたいのか?」

とにかく、キョーコにはもう少し人前で肌を晒す危険性を理解してほしい。
優しい先輩が後輩を諭す様に見せながら、胸の内に密かに抱える醜い嫉妬心を織り込んで彼女に紡いでいく。

(そんな簡単に服を脱ぐ女優になんてならないでくれ。まだ見もしない君の肌に恋焦がれている男が、ここにいるんだ―――!)

「あー・・・敦賀くんよぅ。
説教はそろそろ終わりにしてくれないか、こっちは急遽京子の髪色に直したヅラのチェックがあるんだよ。

「黒崎監督・・・失礼しました。
ですが、もが・・京子の仕事内容確認不足は彼女の落ち度ですし、彼女の成長の妨げになっては・・・」
「むしろ、今はアンタが妨げのような気がするけどね。」
「っ!!」

しょんぼりと萎んでしまったキョーコと、尚も言葉を続けようとする蓮の間に割って入ってきたのは黒崎だった。
蓮はうまい理屈をつけて返すが、そこは年の功と言うべきか、洞察力が優れている者の勝ちと言うか。
黒崎がずばりと蓮に切り込んだ。

「裸に近いカッコになる事も京子が未成年だって事も、コッチだって十分わかってるから、だからアンタんとこの社長から『背面のみOK』ってちゃんと断りもらってるんだよ。
それくらいでガタガタ抜かすとか、意外と青いな「敦賀蓮」も。」
「でも最上さんはまだ17歳で・・・」
「わっ、わかりました!!」
「っ!?最上さん・・・!?」

未成年である事を主張してせめて肌の露出を少なく・・・と思ったのだが、その言葉はキョーコ本人によって遮られる。
蓮がギョッとしてキョーコを見ると、胸元でぎゅっとこぶしを握り込み、目つき鋭く「腹は括ったぞ!」と意気込んだ顔でいた。

「敦賀さんの仰る通り、仕事内容の詳細をきちんと聞いてこなかったのは私の落ち度です。
ですが、こんな貧相な体つきでもいつかラブシーンを演じる日が来るかもしれませんし、今日はその第一歩という事なんですよね!?
尊敬する大先輩の「視聴者の想像を掻き立てる」演技を同じ舞台に立ちながら学べるだなんて、身に余る光栄です!!

「えっと・・・」
「畏れ多いですが、本日はこの若輩者に是非ご教授くださいませ!よろしくお願いいたします!!」
「えっと・・・うん・・・よろしく、ね・・・」

キョーコの勢いに飲まれて、そして先程自分が仄かな嫉妬心と共に放った言葉に逆襲されて。
「よろしく」の一言しか言えない状況に追い込まれた所で、この二人の想いのベクトルが大幅にずれている事を今のやり取りから悟った黒崎が「あー・・・うん。」と顎鬚を撫で上げる。
そして、ポンポンと蓮の肩を叩いた。

「『抱かれたい俳優No.1』の称号も形無しだな。」
「・・・。」
「? 何のことですか?」

(ええ、彼女の前では形無しですよ。だから何ですほっといてくださいよ!)

まだ会って2度目だと言う男に、自分の恋心はおろかキョーコとの位置関係までしっかり把握されてしまって、蓮は非常に居た堪れない気持ちになった。
しかし色恋事には疎いキョーコには、黒崎の言葉は理解できなかったらしい。
この気まずい状況を悟られなかった、その事だけが蓮の安心材料だ。

「うんにゃ?オトコの話ってやつだよ。
よし、じゃあ京子は先に絡みのない妖精のシーンから撮影するから。とっととメイクしてきてくれよな。」
「はい!妖精の役って聞いて、実は私楽しみだったんです!」
「俺に任せろ!キュララん時みたいにいい絵を撮ってやるよ。」

妖精の役と聞いて、既に心に羽が生えたキョーコを連れて黒崎はあっという間に去って行った。

はっと気が付いて隣を見ると、勢いのあった全てのやり取りをただ傍観するしかなかった社がぽかんと口を開けて白くなっている。
蓮が「社さん、大丈夫ですか?」と声を掛けると、やっと動けるようになったらしい。
ギギギ・・・と錆びた音が聞こえそうなくらいカクカクとした緩慢な動きで蓮を見上げると、ぼそりと「お前も大変だな・・・」と返してきた。

(本当ですよ・・・まったく。)


何が大変なのか。

それはきっと、キョーコとの久しぶりの共演が蓮の理性への試練になった事。
キョーコが黒崎監督のお気に入りだった事。
そして、これがすべて社長の気まぐれによるお遊びであり、しかしこうなるよう仕組まれたものである事。

その全てであるような気がする。


(大丈夫かな、色々と。―――俺が。)


このフロアーに降り立ってからずっと背を向けていた大きなガラス窓を見ると、立ち並ぶビルの上に大きな入道雲を乗せた1枚絵のようになっていた。
ここに入る直前に誓った『相手が誰でも、自分の演技をするだけ』との思いは、ショッキングピンクの衝撃により、早くも大きく揺さぶられる事となった。




*後編へ*