DAYBREAK 4 side蓮 (徒然妄想記・ちなぞさん / 降っても晴れてもスキ日和・ひかりさん)
『…ずっとだ、ずっと…少しでも離れたら、許さない』
絶え間なく溢れ出る君への想いが、“カイン”の口から束縛の言葉になって零れ落ちていく。
やわらかな君の胸に顔を埋め、包まれるような心地よさに身を揺蕩えながら、俺はひどい混乱に陥っていた。
(君は…自分が今何をしているか分かっているのか?)
*
細い指先が髪を掬いあげるたび、ぞくりと項が粟立つ。
耳を掠めるリップ音に、身体の芯から震えが走る。
目蓋や額に触れる唇の熱さに全身が歓喜する。
腕に、胸に、背中に、頭に…。
やわらかな温もりが伝えてくる現実に、俺のすべてが恍惚と緩んだ。
抱き竦められ狭まった視界の端では、枕元のライトが幻想のようにちろちろと瞬いている。
『…もう、そうだって、言っているでしょう…?』
呻くように洩らした本音に応えるように、くすりと零れ落ちた甘い肯定。
思わず目を上げれば、微笑みを湛え俺を見つめる“セツカ”の黒々とした瞳の中に、陶然と微睡む俺自身が見えた。
まさかこんなことになるなんて。
試していたはずの俺が、逆に試されている気がする。
…試す?君が俺を?何のために?
薄靄のようにぼんやりと浮かび上がる疑念。
俺が誰のモノかと震える声で尋ねた君。
この頭を自ら胸に引き寄せ、くちづけてみせた君。
そして―――、
嫉妬に駆られた瞳を俺に向かって燃やしてみせた、その君は…。
本当に“セツカ”なのか?
そこには“セツカ”しかいないのか?
あれはすべて…演技なのか?
演技に、過ぎないのか?
“最上キョーコ”は…欠片ほどもいてくれはしないのか?
けれど、浮かび上がったいくつもの疑問を追うことを、身体が放棄した。
それよりも-----、
抱き竦めた身体の温もりに。
甘い甘い蜜のような吐息に。
君の…何もかもに。
溺れていた…。
どうして?という疑問を投げ捨て、なぜ?という懐疑を葬り去り、
白く浮き上がる肌に唇を滑らせ、“君を感じる”、それだけのために俺は感覚の海に身を投じた。
感情も、理性も、自我すらなく、ただ君に酔い痴れる。
(君が…欲しい。)
ただ、それだけを思って。
*
『兄さんは… …自分勝手だわ。』
沈黙を破るように、ぽつりと呟きが漏れた。
『自分は散々ほかの女と遊んできたくせに。』
言葉とともに捕まえた腕の中から伸びてきた指先が、俺の耳朶をぎゅいと掴み、ぐりぐりと探り弄ぶ。
まるでそこに、小さな嫉妬をぶつけているかのように。
『そうやって、私のことばかり言う。』
次第に熱を帯び、じんじんとしてくる耳朶。
『そんなことしなくても、私は兄さんだけのモノなのに。』
俺はそうじゃないとでも言いたげなセリフを吐くと、彼女は弄っていた耳朶を思い切りぐいと引いた。
『っつ!』
思わず眉を寄せ、腕の中の彼女を見遣る。
『…お前だけだと言っただろう?約束したはずだ。一生、お前の俺でいると。』
淡々と答えた俺を彼女はじっと見つめ返した。
その瞳に、どこか哀しげな色を滲ませて。
その…色…は…。
『嘘つき。』
『嘘つき…だと?』
『そうよ。私には本当に兄さんしかいないのに。今も昔も、この先だって兄さんしかいないのに。なのに、兄さんは違うもの。今までに…』
一度離れた手が頬に戻り、そこを起点にゆっくりと俺の輪郭をなぞりはじめる。
『この頬にも、この腕にも、この胸にも、そして、この唇にも、触れた女がごまんといる。』
両腕をぐいと掴む手の細さに心が疼く。
『…それが、許せない。』
指先に力が籠められ、きれいな爪先がゆっくりと肌に食い込んだ。
鋭い痛みがその場所に走る。
けれど、その痛みすら、彼女に与えられたものだと思えば心地よかった。
俺には、それが嫉妬の証としか思えなかったから。
その嫉妬が、“セツカ”としてのものでも構わない。
彼女が俺にそれほど執着してくれるのなら。
『兄さんがそうなら、私だって…』
小さな囁きが耳を揺する。
(“私だって”?私だって、どうする気だ!?)
思わずがばりと身を起こした
彼女がふと漏らしたひとことに、身体の奥底から言い知れぬ怒りが吹きあげてくる。
『私だって…どうする気だ?何をする気だ?』
自分でも信じられないほど冷たく、焦る声が出た。
『どうもしないわ。』
ぷいと横を向く彼女。
つんと尖ったその唇を見た瞬間、何かが切れた。
全部、俺のものだ。
その唇も、この髪も、この頬も、この唇も。何もかも、
ほかのやつになんて、ひと撫でだって触らせやしない。
激流に流されるように、気が付けば俺は、半ば強引に彼女の唇を奪っていた。
唇を啄む程度のものじゃない。
奪うように絡みつき、何度も角度を変え、貪るようにそのやわらかな唇を吸い尽くした。
酸素を求めるように小さく開かれた口に強引に舌先を捻じ込み、さらに深くさらに激しく彼女の唇と舌を味わう。
彼女を思いやることもせず。
んぅく…うっ…
苦しむような喘ぎが小さく聴こえ、華奢な手が俺を押しのけようともがいたのに気づき…ハッと離れた。
目の前で驚いたように目を見開く彼女。
次の瞬間、その瞳から大粒の涙が零れ落ち、俺は茫然と力を失った。
『なにを…したの?…兄さん。』
『すまない。俺は…』
『すまない?謝るようなことをしたってこと?』
『そうじゃない。そうじゃなくて。』
『じゃあ、なに?私を黙らせるため?』
必死に言葉を探した。
どうすれば…いい?
『…ずるい。』
(ずるい?)
投げられた言葉に、頭の片隅がずくりと反応する。
『いつだってそうやって、人を翻弄して…。』
(…翻弄?)
『そうすれば素直に黙ると思った?言うことを聞くと思った?今までのオンナがそうだったから?そういうこと?』
矢継ぎ早に言葉が重なり、そのたびに口調が激していく。口を挟む余地もなく。
『違う!』
『違わない!勝手よ。勝手すぎる!』
彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちていく。
『違うんだ!とにかく話を聞け!』
『いや!』
『聞くんだ!』
『いや!』
『いいから、聞け!』
『いや!いや!いや!私の気持ちなんて、兄さんはちっともわかってない!ほかのオンナといっしょにしないで!そんなのを私に見せないで!!』
ひどく傷ついた顔をしてはらはらと涙を流し、彼女は大きく首を振る。
何度も、何度も…。
『聞け!』
『知りたくない!そんなこと。敦賀さんがほかの人とそういうことをしてるなんて、考えたくもない!私だけのものにしたいのに!なのに…知りたくない!』
突然彼女の口から零れた言葉に、俺はただ硬直した。
――― 私だけの…もの?
――― 俺を…?君が…?
しまった、という表情でフリーズする彼女を前に、ようやくこれが現実なのだと悟った。
「本当に?」
日本語が口を突いて出る。
その俺に向かい、彼女はいやいやをするように首を振り続けた。
「うそです。今のは間違いなんです。信じないで。聞かなかったことにして。」
次々と零れる否定の言葉。
“最上キョーコ”がしゃべるそれは、だがすべて逆を示していた。
瞳も。
仕草も。
声色も。
すべてが逆のベクトルを向いている。
間違いない。
――― 彼女の心は俺にある。
その自信が俺に力を与えた。
「駄目だ。聞かなかったことになんてできないよ。」
額に手を伸ばし、前髪から指を差し入れ、幾度もその髪をくし解く。
「ぜったいにできない。」
眦に唇を寄せ、次々と零れ落ちる涙を吸い取れば、塩辛いはずのそれが、なぜかひどく甘く感じられた。
「だって俺は、もうずっと前から君を愛してるんだから。」
はっきりと言葉にしたとたん、狂おしいほど激しい想いが一気にこみ上げ、全身が震えた。
君が俺を求めていると、そう考えただけで甘い痺れが身体中を駆け巡る。
「だから、聞かなかったことになんて、ぜったいできない。」
同じように小刻みに震え続ける彼女を緩く抱き締めた。
トクトクと早鐘のように打つ心音が、抱き締めた身体から、そして自分自身から鳴り響き、その重なる音が心を強く震わせる。
「嘘…」
怯えるような細く、掠れた声がぽつりと落ちた。
「嘘じゃない。演技でもない。」
彼女を包んだ腕に力を込め、俺は彼女の瞳をじっと覗き込む。
「心の底から、君だけを、愛してる。」
言い知れぬ悦びが俺を支配し、止められない感情が俺を突き動かす。
気が付けば指先が意志を持ち、細い肩に頼りなくかかる薄布をスルリと外していた。
君を…求めて。
滑り落ちる衣から、再び匂い立つ彼女の香り。
浮き出る鎖骨に唇が吸い寄せられる。
「ダメ…。」
漏れた声に嫌悪や後悔の色が見えないから、ダメという言葉さえ、甘く疼く喜びに変わる。
そんな君をみて、この手を止められるわけがない。
「俺も…俺も、君を俺だけのモノにしたいと思ってた。たぶん君よりもずっとずっと前から。」
そう告げた俺を、榛色の瞳が探るように見つめる。
その瞳を俺はもう逃がさない。
「本当だよ。俺は、誰よりも…、最上さん。君を愛してる。」
*
狭いシングルベッドの上で、俺たちは時間が止まったかのように2人、身動ぎひとつできずにいた。
視線を、吐息を、温もりを交錯させたまま…。
キキキッ
ベッドの軋音が思い出したように響く。
その音に後押しされるように、俺はようやく口を開いた。
「愛してる。」
震える君を抱き締めながら。
この言葉を君の心が受け入れるまで、俺はいつまでも紡ぎ続けよう。
「愛してる。」
決して耳を塞がせはしない。
「愛してる。」
いつまでも。
「愛してる。」
どれだけの時間が過ぎたろう。
やがて、彼女の細い両腕がゆっくりと俺の首に巻きつくのを感じた。
巻きついた指先に力がこもり、くいと抱き寄せられる。
そして、彼女自身から近づいた唇が、そうっとそうっと重なってくるのを、俺はただじっと受けとめていた。
どこまでも甘美なその感覚に身を寄せながら。
この上ない歓喜とともに。
ゆっくりと重なった唇が微かに動き、2つの文字を形作る。
…ス、キ
言葉を頭が理解した、その瞬間身体が大きくびくりと跳ねた。
はずみで彼女の身体も揺れ、身にまとう極上の絹よりも、ずっと艶やかな白肌が闇のなかに浮き上がる。
誘うように輝くその白に、かろうじて堰き止められていた欲情が激流と化し、自制の箍を押し流していった。
俺は引き寄せられるように唇をよせ、気持ちの赴くままその場所をがぶりと噛んだ。
噛みながら、強く吸い、そこにシルシを刻み込む。
君は俺のモノだと、はっきり主張する所有印を。
見れば、可愛らしい臍の横に、同じくらいの存在感を持って並ぶ深紅の痕たち。
満足感とともに、それを眺め、なぞり、確かめる。
「なっ、何、何するんですかっ!」
上がった声の動揺が激しすぎるのがおかしくて、思わず口許を緩ませる。
「君が教えてくれたんだろう?」
「…私?」
目を見開いて俺を見る。
まるで危険を察知した小動物みたいな、そんな顔も可愛いくてならない。
「そう。君が教えてくれた。一生残る痕はこうしてつければいいと。」
「…え?……あ。」
思い当ったように、唇が小さく開く。
「だろう?ほかの誰でもない。君が俺に教えてくれたテクニック、だ。」
それだけ言うと、俺は彼女を抱え上げ、ぽかんと開いたままの唇を啄んだ。
何度も、何度も、味わうように啄んでみる。
何にも代えがたい至上の歓びに、この身を任せながら。
やがて、君からくたりと力が抜け、俺の胸に君のすべてが転がり込んできた。
その温もりを抱き締めれば、苦しいほど恋しい気持ちがこれまでよりもずっと強く、限りなくふくらんでいく。
「一生…。一生…、君は俺のモノだ。」
そう・・・。
そして、カインでなく、敦賀蓮が、俺自身が君に誓おう。
「永遠に、俺は“君の俺”でいつづけるから。」
…ダレヨリモナニヨリモ、キミヲアイシテル。
Fin