お客様は神様です。 5 (なんてことない非日常・ユンまんまさん )
今日は本当に慌しかった。
来月本格的なオープンを前に、ホテル側が招待したおよそ50組のお客を相手に始めての接客をしなければならず接客に関しては慣れているキョーコだったが指導した者達がきちんと対応できるか心配でならなかった。
午前中に全てのフロアーのチェック。
全客室係に細かな指示を出し。
各部門のチーフと緊急時の打ち合わせ。
招待客のリストをチェック。
(・・・あ・・・敦賀さんも今日、宿泊されるんだ・・)
ホテル側関係者として、蓮も宿泊することをこのリストで初めて知ったキョーコは慌しく張っていた気を少し緩めた。
すると、ホテルのフロアーが隅々とまで見渡せた。
見ていた気でいたが、緊張して見えたいなかったらしい。
他のスッタフたちが緊張した面持ちで、持ち場を確認している姿にキョーコは大きく深呼吸をした。
「みんな!今までやってきたことを精一杯出し切って、楽しく接客しましょう!」
キョーコの明るい声がホール中に響き渡ると、全員が強張った顔から力を抜き笑顔を取り戻した。
その笑顔をみて、キョーコも満面の笑顔を作りお客様を待ち構えるのだった。
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「蓮、そろそろ行ってきていいぞ」
社内にて、書類の整理をしていた蓮に向かって社が一泊分の荷物が入った小さなトランクを差し出してそう言ってきた。
「ええ・・・でも、まだ書類が・・」
「俺たちがやっておくから」
ため息混じりにそう伝えても、蓮はせっせといない間にたまりそうな書類を片付け始めた。
(少しは頼ってくれてもいいのになあ・・・)
人の何倍ものスピードで書類を作り、その完成度は完璧な蓮が自然と人を頼らなくなってしまっていることは知っていてもやはり親友としたら少し寂しい気分が拭えない。
社が他の社員を伺うと皆、同様のことを思っているのか申し訳なさそうに仕事を片付けていく蓮を遠目に伺っていた。
そこへ一人の社員が、自分で作成した書類を持って蓮の所に来た。
「敦賀主任、お忙しいところ申し訳ありません・・確認を・・」
オズオズと差し出された書類を、蓮はさっと目を通した。
「・・・・わかった・・後は俺が・・・」
そこまで言いかけた時、先日のキョーコとのやり取りを思い出した。
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「しかし、どうしてあんな回りくどい方法で仕事をこなすんだ?」
何とか食事も終わり蓮はコーヒーをキョーコはお茶を飲んでいる時、先ほど気になったことを訊ねてみた。
すると、キョーコは何の事を言っているのか始めわからずきょとんとしてしまった。
「・・さっき・・・わざわざ他の人に出来るまで任せていただろう?」
フロントを覗き込んで、キョーコを呼び出してもらった時垣間見えたスッタフたちに蓮はまどろっこしさを覚えたのにキョーコはそれに口を出すことなく後ろから見ているだけだった。
時間の無駄。
その言葉が即座に蓮の頭の中に過ぎった。
ただでさえ、一週間後にはプレオープンを控えているのにもかかわらず笑顔で後ろから見守っているだけの状態など蓮には考えられなかった。
「回りくどい・・・でしょうか?」
「というか・・・時間がないのに良く出来るなって・・」
「時間がないからこそ・・ですよ?」
「え?」
目を丸くする蓮に、キョーコはフワリと微笑んだ。
「時間がないからこそ、基本をしっかりと自分で覚えてもらわなきゃ・・・信用できる人に育てるのもチーフの勤めですから」
「信用?」
「基本がしっかりしている人は、いざという時に応用もきくんです・・それに、スタッフを信用しないで誰を信用して働くんですか?」
キョーコの迷いがない言葉に蓮は始めて自分の仕事には仲間意識が薄いかもしれないと思い始めた。
「敦賀さんだって、社さんや他の社員の方たちと信頼関係を持ってお仕事されているのでしょう?それと同じです」
ニコッと笑うキョーコに、蓮は曖昧に笑って返した。
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「・・・・あ~・・・」
蓮は、少し顔を赤くして頬を人指し指で掻きながら書類を持ってきた者に返した。
「悪い、これから予定があるから直してまた後で持ってきてくれるかな?」
「え?・・・あっ!はいっっ」
蓮の行動にその場にいた誰もが目を見開いた。
もちろん書類を返された者も。
はじめ、呆然としていたが返された書類を受け取り慌てて頷いた。
「そこの数字を500から、700に変更してみたらどうかな?」
蓮の提示に、男は自分の書類を確認した。
「・・・あっ!はいっそれなら、ここも変えてみていいですか?!」
「そうだな、それなら今度は合格点だな」
「ありがとうございます!!」
今のやり取りを見ていた社は、呆気にとられた。
(あの・・・あの蓮が!?人を育てないことで有名な蓮がっ!!書類の指導してるっ)
「・・・社さん、言葉漏れてますから」
蓮に注意された社が両手で口を押さえていると、蓮は残りの書類を周りに頼みはじめた。
「一応、ここまではしたので後お願いできますか?」
「もちろんですっ!!ここまでされたら明日までにはすべて終わりますよっ」
百瀬の言葉に全員笑いながら頷いた。
「それじや・・・社さん、あとよろしくお願いします」
「・・・ヘ?・・・おっ!おぅっ!!ま、任せとけっ」
動揺を隠せない社に蓮は苦笑しながらも、スーツケースを手に取った。
「それじゃあ、明日の夕方には戻ります」
少し足早に社内を出ていく蓮の背中を社は、驚きの表情のまま見送った。
「・・・あいつに何があったんだ?」
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