Top  Information   Gallery   Blog   Link

DAYBREAK 2 side蓮 (徒然妄想記・ちなぞさん)

(…・なッ…・!!)

晒された姿に思わず息を呑んだ。

オトコの欲望を具現化したような、それでいてオンナの強い主張も感じる、妖艶な黒のベビードール。
それはたしかに“セツカ”が選びそうなものだけれど…。
けれど“最上キョーコ”にはありえない。
絶対にありえないものだった。


衣擦れの音さえ甘く響きそうな、サテンの黒。
黒のレースを擦り抜け、誘うように際立つ素肌の白。
慌てて目を背けた先で、艶めかしく息づく唇の赤。
目を瞠るほど、それは禁断の色に満ちて、俺の心を揺るがせる。


『兄さん…  …ッ…!!!』

どこか強張った君の声がぼんやりと彼方に聴こえた。

(限界…だ。)

崩れ落ちそうになる“カイン”の仮面を保とうと、必死に顔を手で押さえる。
その指の隙間から彼女の扇情的な姿が忍び込み、俺は思わず呻きを漏らした。
漏れた唸声に呼応するように、君が目を逸らす。
その視線を取り戻すため、俺はゆるゆると口を開いた。


『邪魔だ、肌触りが悪い』

かろうじて続けられる“カイン”の演技。
いつ途切れてもおかしくないソレ。

『…高級品だけど?』

激しく動揺しているだろうに、あくまで“セツカ”の貌は崩さない。
そんな彼女に、心のどこかがひどくイラついた。

『お前の肌のほうがずっと滑らかだ。』

カインとして言葉を吐き出しながら、敦賀蓮として晒された肌に手をかける。
どうあがいても抑えることのできない何かに、今俺は突き動かされようとしていた。



* * *



最初はただ抱き締めるだけのつもりだった。
抱き締めれば、それで満足するはずだった。

その柔らかな肢体が放つ磁力も、やさしい温もりがもたらす引力も、よくわかっていたはずなのに。
ただ触れるだけなら、不埒な感情も意志の力で抑えこめると思っていた。
いつか、のように。


シャンプーの甘い香りを漂わせながら、寝室に戻ってきた君。
その香りに誘われるように、俺は薄暗い闇にまぎれながら、華奢な身体を捕まえ、強引に引き寄せた。
抱き締めたとたん、俺が今最も欲しているものが何なのか、改めて強く思い知らされる。


…狂おしいほど愛おしい。


小さな流れが集まりやがて大河になるように、粛々と積み重なってきた彼女への想い。
それがもはや、些末なことにこだわってばかりいる俺自身なんて、いとも簡単に押し流してしまえるほど強く激しくなっていたことを。
心のどこかで気づいていて、それでも見て見ぬふりをしていた。


ピクリ。
腕の中の身体が僅かに跳ねる。
こみ上げる想いに苛まれながら視線を下ろせば、大きな瞳が瞬きもせず俺を見つめていた。
暗がりでもよく分かる見開かれた黒に、接照明の光がわずかに映り込み、ちろちろと静かに揺れている。
その色に、

(”セツカ”、じゃない…?)

心が揺れた。
けれどつかの間見えたその光は、長い睫毛がばさりと揺れるとともに閉じられた瞼の影に姿を消した。
伏せられた瞼が再び開いたとき、そこには浮かんでいたのは、先ほどまでとはまったく違う闇を沈ませた薄い笑み。
そして、“セツカ”のけだるげな声が響く。

『…なあに、兄さん。まだ起きていたの…?』
『遅い、セツ。お前こそ、いつまで起きているつもりだ…?風呂が長過ぎる』

抱き締めたまま言葉を返した。
一瞬のうちに消えた“彼女”を無意識に求めながら。

晒した素肌に直接感じる彼女の温もり。
透き通るような肌が、見たままの滑らかな感触で俺の心をやさしく愛撫する。
ともすれば、そのままのみこまれてしまいそうな本能の渦を、俺は“カイン”の仮面をつけたままなんとかやり過ごした。
大好きな妹を構いたい『兄』の演技に寄せて。


(“カイン”の面は外さない。…・外せない。)

温もりを味わいながら、心の奥で何度もそう呟く。
自分自身に暗示をかけるかのように。

(…外すわけには、いかないんだ。)

―――この、仮面を。


“カイン”を忘れ、芝居を忘れ、欲望に流されてしまったら…。
俺は、きっと芝居に負けたことになる。
いくら、彼女を欲しても、今はいけない。

なんとかそう…自分に思い込ませようとしていた。


妙に乾いた唇をちろりと舐める。
本当は…そうやって自分を戒めなければならないほど、想いの決壊は間近に迫っていたのだ。


*


『もうっ。兄さんだっていつもお風呂、長いじゃない』

彼女の声にふと我に返る。

『俺は、いいんだ』
『ずるい。兄さんだけいいなんて』

怒った振りをしてつんと頭を横に反らす、その勢いで彼女から洗いたての髪の香りがふわりと立ち上った。
花のような芳香が鼻孔をすりぬけていき、この上ない愛しさとともに欲情が鋭く刺すように突き上げる。
彼女の香りを感じた、ただそれだけで。

―――目が、心が、すべてが彼女に釘づけになる。

『女は、寝るまでにしなきゃいけないことがたくさんあるのよ。飲んだら寝るだけの、兄さんとは違うんだから』
『肌でも磨いていたのか?いいことだが、ほどほどでいい。お前は今のままで十分綺麗なんだからな』
『ふふ…それを維持することが大事なのよ、兄さん』

なにげない兄妹の会話の合間も、俺は彼女から目を離せない。
ぷいと尖った唇の濡れた光を視界の隅に感じるだけで、腹の奥がずくりと疼く。

ゆるく湿った髪の匂い、吸い付くような肌の感触、バスローブに包まれた華奢な身体の僅かな輪郭すら、やけに煽情的に思えた。
何よりも…。
この腕に抱き取られたまま、頬を不自然に赤く染める君に、俺は心を揺さぶられた。


そうやって君は無防備に自分を曝け出し、俺の覚悟をいつだってあっさり打ち砕く。
それでいて、すぐに素知らぬ顔で逃げ出そうとするんだ。


どれほど俺が君に恋い焦がれているか。
君の行為がどれほど残酷か。
いっそ今すぐ、その身体に教えてあげようか?


ふつふつと沸き上がる欲情。
抑えようとすればするほど、勢いを増すソレ。

(ちがう。妹を溺愛する兄…。妹しか、見えない兄…。その兄が無防備な妹を許せない。ただ…それだけだ。)

男としての欲情を、兄としての愛情にすり替え、俺は目の前に佇む柔らかな項に頬を寄せる。
…“カイン”面をして。
小さく震えてはいても、逃げ出そうとしない彼女に対し、『兄』が持つはずもない薄黒い歓びを感じながら。



吐息がかかるほど間近に唇を寄せても、彼女は逃げようとしない。
抱き締める腕から、逃げ出そうとしない。

だから…。

彼女がどこまで、“俺”を受け入れてくれるのか。
どこまで、許してくれるのか。

(…知りたい。)

ただ切実に、そう思った。

たとえそれが、兄を溺愛する妹としての演技に過ぎないとしても。
その裏には、彼女自身の感情が確実に潜んでいるはず。
本当に嫌なら、彼女がそれを受け入れられるわけがない。
あの歩く純情さんが、そんなことできるはずがない。

そうじゃないか?
だとすれば…。

彼女の心の真実が、ほんの僅かでも覗けるかも知れない。
そこにもし…。
もし…俺が期待するようなものが微かにも見えたとしたら…。



そっと手を伸ばし、髪を手繰る。
指先に少しでも、彼女の香りが移るように。
この手が少しでも、彼女の欠片を掴めるように。

時折指が、彼女の頬に触れ、鼻先に触れ、睫毛に触れ、唇に触れる。
それがあまりに心地よくて。
偶然のふりをして、彼女の輪郭をとめどなく探り続けた。

頬から耳朶へ。
耳朶からうなじへ。
そして、首筋へ。

顔だけじゃない、彼女のすべての輪郭を探ろうと。
そうして、無防備な肌に指先をそっと忍ばせ、触れるか触れないかのギリギリの距離から、幾度も擦る。
あからさまな拒絶を彼女が見せないのをいいことに。
それが“カイン”にしては、行き過ぎた行為だと知りながら。

『早く寝て、兄さん。明日も早くから撮影があるんだから』

それでもまだ、“セツカ”で居続ける彼女。
向けられた貌は―――兄が心配でたまらない妹の表情、か。
それが俺自身に向けられたものでないことに、嫉妬すら感じた。
素肌に触れる指先が、すでに兄とは思えぬ素振りであることを、君はもう感じとっているだろうに。

―――なぜ、逃げ出さない?…なぜ?

逃げ出してほしくなかったはずなのに実際そうされると憤る。
期待するものが欠片も見えないことへの焦りなのか。
矛盾した感情が俺の中を駆け巡った。


『お前が早く戻らないのが悪い』
『もう、兄さんたら』

困ったようにくすりと笑う声が、耳元で甘いリズムを刻み、吐息が頬をすり抜けた。
ただそれだけで緩みそうになる口元を、”カイン”らしい憮然とした表情で隠す―――次の瞬間。

ふわりと伸びた指先が、やさしく俺の頬を這った。
柔らかな羽先で擽られるような感覚。
それが頬を伝い、熱を帯びながら一気に全身を支配する。

(いけない。)

思ったときにはもう遅かった。


無意識に手が伸び、彼女の身体を厚くガードするバスローブの結び目を引き解きはじめる。

(もっと。もっと、傍に…。)

ただそれだけの感情に支配されていた。

もっと彼女に近づきたくて。
彼女を間近に感じたくて。
パイル地1枚の距離すら厭だった。


結び目を解けばすぐに、パイル地に隙ができ、前が緩む。
その隙間に手を差し入れば、滑らかな肌の感触が誘惑するように俺に吸い付いた。

なによりも心地よいその感触。

やがて俺の手の動きに合わせ、スローモーションのように彼女の肩からゆっくりとローブが滑り落ちていくのが見える。
その様を俺は瞬きもできぬまま見守っていた。


徐々に露わになっていく彼女の姿に、まさかという驚愕を抱えながら。



* * *



頼りなく肌蹴た肩を抱き締めるようにして、小刻みに震えながら、君は俺を見上げた。

驚愕を無表情に隠し、俺はその姿をじっと見下ろす。


本当に…ただ抱き締めるだけでよかった。
それだけでよかったんだ。
なのに…。

それなのに君は、なんて恰好をしているんだ。
いったい…。
どういうつもりなんだ。


焦る心が、表情を一層凍りつかせる。
そのとき、
“演技のためなら―――。”
自分自身、常に言い聞かせてきたその言葉が、ふと頭に浮かんだ。

そう、か。
そんな恰好も。
あんな仕草も。
すべて…“演技のため”にしたことか…。
君は…。
演技のためなら、どんなことでもするというのか。

(相手が俺じゃないとしても…。)

―――やる、のか?


キキキ、と音を立てて”カイン”という仮面の片隅に亀裂が入る。

不意に訪れた苛立ちと嫉妬と焦燥と、そして独占欲。
それらすべてがごちゃまぜになり、濁流のように一気に全身に押し寄せた。

ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら、細い肩口にぐいと顔を埋める。
触れる柔肌のそこかしこに俺だけの所有印を刻みたい気持ちにかられながら。


『…お前の肌のほうが、こんな布きれよりよっぽど心地いいに決まってる。』

絞り出すように”カイン”の言葉を吐き出した。
同時に、素肌の感触を唇で掬い取る。
ようやく…そう、そこまでしてようやく、そんな俺から逃げようと、腕の中の身体が小さく捩られた。

(もう…遅い。)

口許に乾いた笑いを浮かべながら、離れかけた腰を再び引き寄せようと力を込める。

(もう…逃がさない。)



『お前は俺のモノだ。俺だけのモノだ。』

吐息のように微かに本音が漏れた。