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その扉の向こうへ… 6 (スウィート・ムーン・山崎由布子さん)

 このホテルでは披露宴をするが、直ぐにはハネムーンに行けない二人が一泊する予定になっていた。
 次の日もどうしても抜けられない日にちの仕事が夕方にはある。忙しすぎる二人にはほんの一時の休息だ。
 ハニームーン代わりにデラックスなスウィートルームで、僅かな蜜時を過ごせるようにと配慮はされていた。そしてどこかロマンチックな装いの部屋に、キョーコでなくても心が躍る部屋だと訊いた。
 呼び出しがない限りは二人だけの時間になるようにと言うことだ。
 だが今日はその時の為に楽しみは取っておくことにして、別の部屋のスウィートルームへの宿泊だった。


 どうにか時計が明日に変わった頃、キョーコは蓮と二人きりの部屋。全ての打ち合わせが終わって疲れてはいたが,キョーコはほぉ…と深い溜息を吐いた。疲れではなくうっとりとした溜息に、蓮はクスッと笑みを浮かべた。先ほどと同じキョーコの溜息だ。
「やっぱり…ホテルって、素敵ね」
「今度はどんなところ?」
 また?…と思いながら、キョーコのメルヘンな思考が楽しくて、蓮はクスクスと笑いながらキョーコの思いを訊いた。
 先ほどまで衣装をメインとする打ち合わせをしていた蓮達の部屋も、他にあるメインのベッドルームに移って二人は寛いだ。
 今夜もスウィートルーム。ベッドは結婚間際の恋人には勿論といえるダブルベッドが、二人の時間を作る為に用意されていた。
 当たり前のようでキョーコは小さな溜息を何度も漏らした。
「照明のシャンデリア、家具や飾ってあるお花。この長椅子のソファーも素敵。ベルベッドの真っ赤な生地も触り心地がいいわ。このまま眠れそう…」
「それはダメだよ、キョーコ。俺の隣じゃないとね」
 蓮は楽しそうにキョーコの腕を引き寄せて、腕の仲に抱きしめた。
「君の居場所はここだよ。俺の隣だ。俺の腕の中。触り心地の良いだけのイスよりも、居心地が良いはずなんだけど、違ったかな?」
 少し意地悪な蓮の言い方に、キョーコは上目遣いでそろりと蓮を伺った。

 ……魔王になってないわよね?

 キョーコが少しびくつきながら蓮を見上げると、蓮は妖しい光を目に宿しながら唇を重ねてきた。
 二人きりの口づけは、キョーコも逃げることなく全て受け止めた。


 結婚式に向けて、その日を空ける為に二人はいつもよりも忙しい日々を送っていた。そのお陰で、一緒に暮らしていても仕事以外で共にいられる時間は、家に帰り付いた時に相手も起きている時ぐらいだった。
 蓮はキョーコの顔が見たいと思って起きていることが多いが、キョーコは朝食やお弁当を作って待っていることもある。だが蓮が起きて待っていることは忙しさの差から言えば少ないものの、その時間を疲れを取ることに使って欲しくて寝ていてほしいとキョーコは頼む。蓮もキョーコに頼まれることは断れない。その代わり、キョーコが食事で自分の身を案じて無理をすることを程々にして欲しいと蓮は願った。
 お互いがお互いを思っての行動だが、逆に心配をかける結果になっては身も蓋もない。大切な人だからこそ、無理をして身体を壊すことにはなって欲しくない。仕事としての役者の身体としてよりも、愛する人だからこそ元気で笑顔で居て欲しいのだ。
 だからこそ…こんな場所だからこその贅沢をキョーコにはして欲しかった。甘えて欲しかった。
 蓮は元々がクー&ジュリエナ・ヒズリ家の一人っ子として、ハリウッド俳優とモデルに囲まれた生活が当たり前にあった。そのせいで苦労することはあったが、生活での苦労は知らずに来た。
 キョーコも故郷の京都にいた頃は、預けられた旅館の女将達に贅沢は言えないが、衣食住の苦労は少なかった。それが松太郎と東京に出てきてからは、十代の少女らしいオシャレも出来ずにバイトに明け暮れる日々が続き、松太郎の本音を聞いた処で好きだと思った気持ち故に、憎さ百倍の怨霊と化し、復讐する為に芸能界への階段に手を伸ばした。
 そして、東京でお世話になっていた「だるまや」ご夫婦の優しさに支えられていたからこそ、当時のキョーコが他に頼る当てもない東京で、芸能界へとチャレンジし続けることが出来たともいえる。
 だがそれでもキョーコは人に甘え、贅沢をする事は自分の身に余ることだと心の奥深くで思っていることを蓮は知っていた。
 それは小さな頃から母に甘えることを許されず、完璧を求められ、殆ど顔を合わすことなく旅館に預けられて育ってきたキョーコは、人に気を使い嫌われまいとする防御反応が、知らず知らずにでてしまうのだ。
 子供の頃からの身を守る術が根付いている姿は、蓮には痛々しかった。


 ……ねえ、キョーコ。もっと俺に甘えてくれないか?
 俺も君が居てくれるから、今の俺が居る。
 だからもっと君にも俺を感じて欲しい。
 君が一番欲しいことが愛されることならば、君が天に召されるまで離さず愛し続けるから。
 そして君が変わらず夢見る乙女でいるのなら、こんなホテルの中での夢を見る時間も楽しんで欲しい。
 こんな時ぐらい、結婚という甘い二人の夢を見ながら心からの贅沢を過ごすのも悪くないと知って欲しい。心がくつろぎ身体もゆったりとさせ、二人の時間に甘えて欲しい。
 これからの二人の時間の中で、もっと幸せを感じさせて上げる時間が欲しいけど、この記念となる甘い時間は今しかないのだから、君も俺も甘さに埋もれて過ごしたい。


「キョーコはそんなにこの部屋がお気に召した?」
「ええ、とっても。ベルベッドのイスだけじゃないけど、色々なものが素敵で、現実とは違う素敵な夢の中みたいだもの。シャンデリアなんか、最高に贅沢な空間…」
「じゃあ、家にも飾ってみる?」
 キョーコは蓮の性格を考えると、ジョークか本気かじっと見つめた。どちらかと言えば、ジョークをいう性格でもないがキョーコの気を引く為なら本気で何かをしてしまう天然とも取れる処のある男だ。
「それは止めて。シャンデリアって見ていると素敵だけど、お手入れが大変なのよ」
 急に現実感のこもったキョーコのセリフに、蓮はロマンチックに浸っているとばかり思ったキョーコに驚いた。毎日がロマンチックに囲まれていたいとばかり思っていたからだ。
「それにね…」
「それに?」
「それに、毎日が夢の生活は違うもの。只でさえお芝居で別の日々も送っているんだもの。あと…」
「あと…? まだ何かあるのか?」
 蓮はキョーコがロマンチストで夢見がちだが、現実の世界での辛さから夢の時間を作ってしばしの時間を過ごしているのだと思っていた。それならこれからは二人で現実の時間を夢のように過ごしても良いと思ったのだ。
「ご自分ではお気付きがないようですが、金銭感覚から始まって両親共にスターの暮らしのせいか、蓮の感覚は一般人の感覚とは違うから、一歩間違うとすぐに現実と違う世界みたいで夢の中に落ちてしまうの。それも日本人となると慣れないことが多いんだから」
 キョーコは少しだけ恨めしそうに、何度蓮に騙されたのか、惑わされたのか…自分だけが一方的に弱かったとは思えなかった。

 最初は子供の時とはいえ、京都の河原で夢の王子様のように綺麗な妖精に見えた少年。演技をしていたとは言っても、夢の妖精にキョーコは癒されて夢の時間を過ごした。それが限られた時間であっても、キョーコには心の支えになっていた。アイオライトの魔法の石と共に…。

 それはクオンにとっても荒んでいた時の心の中の宝の光だった。「クオン・ヒズリ」という名前に囚われず、クー・ヒズリの息子であるという錘もないままに、「コーン」と呼ばれて自由に過ごした時間とキョーコの笑顔が、いつまでも日本の地での思い出となって忘れることのない闇を照らす蒼い光だった。
 あの時キョーコが「コーン」と訊き間違えたことは、ある意味クオンにとっても重い現実を忘れさせてくれる一つのきっかけでもあったと、今になれば思えることだ。


「俺の感覚が他の人、日本人と違うとしたら、キョーコだってそうじゃないか? キョーコの演技も役の魂が憑いたように演じてみたり、素でバラエティーに出れば同じ人とは思えないという感想も聞いたよ」
「そ、そうなの?」
 キョーコは自分でも一般的な感覚とは違う時があることは自覚しているが、人に噂されるほどとは思わなかった。
「でもそれが最上キョーコで、俺の妻となる人の偽らざる本当の性格だ。俺が日本人でないことや様々なことで感覚の違いはあると思うけど、それが俺だよ。こんな俺とは生涯の伴侶としては不服ですか?」
「そんなこと、ある訳ないでしょう!」
 蓮はキョーコが直ぐに否定することを承知で言った。
 案の定キョーコはきっぱり否定してくれた。

 ベルベッドの真っ赤なソファーで、今までも交わしてきたことも含めて、これからも共に生きていく言葉を交わした二人。
 抱きしめ合う互いの温もりだけでもキョーコは幸せでうっとりしていた。
「明日は昼までに帰ればいいから、ゆっくりしようね」
 蓮の言葉には、ゆっくり出来るからと二人の甘い蜜の時間を誘っていた。
「……ゆっくりはいいですが、その…今夜は出来ないから、ごめんなさい…」
 蓮の言葉に含まれた意味に、キョーコは直ぐに気付いて赤らめた頬で謝るように言った。

 もう何度も愛し合った時間があっても、キョーコは言葉という形にする時はほんのりと頬を染める。
 でも蓮とシたくない訳ではない。
 蓮に愛されるのはイヤじゃない。嬉しいけどまだ恥ずかしさが残る。上手に愛し返せてないだろう自分が少しだけ寂しくも感じた。
 それに……。

「今夜は久しぶりにゆっくり君を愛せると思ったのに、残念だな…」
 少し寂しそうな笑みをするが、蓮は素直に諦めてくれそうだ。
「その…今日は危険日なの。朝に今夜のことがあって急いで、薬を飲み忘れてしまって…」
 キョーコは蓮に愛されることを嫌がっているのではなく、自分の体調のリズムで受け入れられないことを口にした。
「いいよ。キョーコの身体は君だけのものじゃない。キョーコを愛したいけど、身体だけのことじゃない。薬ってホルモンの薬だろ?」
「…ええ」
「仕事で月のものをずらすのは時には仕方がないけれど、無理に使わないこと。詳しくは知らないけど、使ったことでの揺り返しもあるって訊いたよ。だから俺に気を使って薬を飲むのは控えて、俺に言ってくれればいい」
「蓮…」
 キョーコは切なそうに恋人の名を呟いた。そして、蓮は優しい笑みを浮かべてキョーコに言った。
「正直に言えばずっと君に触れていたいと思う。でも君ばかりが辛い思いをするのは不公平だろ?」
「不公平…なの?」
 キョーコの方が困惑して訊いた。

 キョーコには人に尽くすことが染み着いている。子供の頃に松太郎を追いかけ、旅館では皆に好かれたい為に小さな女将として旅館を手伝いだした時からの処世術となっていた。キョーコ自身の人を思う優しさもあるが、自分の苦労で人が喜ぶならと尽くす姿は蓮には痛々しい。

 それに…なによりキョーコには笑顔でいて欲しい。
「京子の活躍は、俺も楽しみにしている。だから婚約と結婚の会見をした後、君がもう少しの間は仕事を頑張りたいからと言った時に、京子を応援すると決めていた。その為の努力は俺も惜しまない」
 蓮はキョーコに伝え損ねていた思いを言葉にして伝えた。
「まだ君は二十歳だ。早くに子供を授かるのも幸せだけど、人の幸せはそれぞれに違う。君の、そして俺達の幸せも人とは違っていい。二人で譲り合って掴まえる幸せは、二人で築き上げる形になる。片方が無理して造った家は、何処かでバランスを崩す。君の身体を労りながら、二人で待ち望んだ時に授かる準備をしていこう」
「……蓮は、そこまで考えていてくれたの?」
 キョーコは嬉しさと戸惑いの目で蓮を見つめた。
「俺は京子の才能を握りつぶすバカな先輩ではいたくない。未緒で役が憑いた君を見てから、キョーコの役者としての先はまだ長いと思った。その前の『リンドウ』の時はその根性を買ったけど、衣装とメイクであれほど変われるとは思わなかったよ」
「どうせ私はメイクや衣装で別人です!」
 少しキョーコが拗ねてしまった。
「でもそれが京子の演じ方でもあり、大きな魅力でもある。一つのベールの向こうには別の顔がある方が、ミステリアスにも近い京子の変身を楽しみにするファンもいいだろう? それに只メイクだけで別人になる人は、メイクを取れば普通の人。でも京子は違うだろ?」
「それは、ファンの方も新しい役で別人に化けるのを楽しみにしてもらっているということ?」
 役者として別人になれることは嬉しいが、その変わりようが化けるほどの変化かと思うと、少しだけキョーコは拗ねた言い方をした。役者としての実力を認められるならいいと思うことも、メイクで化けただけならそれは実力を伴わないことだと思えてしまう。
 そんなキョーコに蓮は苦笑を浮かべながらキョーコを抱きしめて言った。
「確かにメイクは別人に見える力はくれる。化粧という文字には「化ける」という字もあるからね。でもそれをより素晴らしい変化へと導き、別人のように役になるのはキョーコの実力だよ。誰もがメイクだけで役者としても別人になれる訳じゃない」
 キョーコの中にいつも残る少しだけ卑屈になる気持ちを、蓮はキョーコの中から消し去る言葉をかけた。
 天狗になることはキョーコにはあり得ないが、花開きながら美しいキョーコにもっと自信を持って欲しかった。

「キョーコはキョーコとして努力を惜しまないまま、役者としての階段を上っていけばいい。それがキョーコという女性の華が開いて目を奪うほどに咲ききったら、女優としてもキョーコはもっと素晴らしい女性となって、もっと男女を問わずに人気のある女優になる」
「それは誉め過ぎよ、蓮」
「そんなことはないよ。すでに俺は君に骨抜きなほど愛を捧げてる。君を愛しているから君を大切にしたい。でも女優としての君を抜きにしては、君を大切にしていることにならないからね」
 蓮の言葉に、キョーコは柔らかく微笑んで幸せをかみしめた。


 そして今夜の蓮とキョーコはただ優しく抱きしめ合って、触れ合うだけの静かで優しい夜を過ごした。
 柔らかなベッドの感触に、愛しい人の温もりと香りに包まれて、ぐっすりと眠りに付いた。