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お客様は神様です。 14 (なんてことない非日常・ユンまんまさん )

「・・どうぞ・・・」


バスルームから出てきた蓮にキョーコは、ミネラルウォーターを渡した。


「ありがとう」


それを受け取りつつ、蓮は部屋に備え付けてあるソファーに腰をかけた。


「クリーニングも2時間ほどで出来上がるそうです」


キョーコは立ったまま、水を飲む蓮にクリーニングの受け取り伝票を差し出しテーブルに置いた。
蓮に言われるまま部屋にクリーニング係を呼んで服を渡した後待っていたのだ。

一応大人しく待っていたキョーコは綺麗にお辞儀して部屋を出て行こうとしたが、それを水を飲み終えた蓮が引き止めた。


「じゃあ、それまで俺に付き合ってくれないかな?」


「え!?」


目を丸くするキョーコに蓮は、にいっとイタズラっぽく笑って見せた。


「『お客様は神様』でしょう?」


「・・・・・わかりました・・・先日のようなことでなければ・・・もしかして、なにかお話があるんですか?」


キョーコは小さくため息をついて、渋々頷いた。
しかし、そんなキョーコの質問に蓮は少し考えた後首を傾げた。


「・・・いや・・・先日に・・近いかも・・」


「は!?でしたらこのまま業務にもどらさせていただきます!」


キョーコは怒り心頭で蓮に背を向けると部屋を出ようとした。


「待って!」


その途端、キョーコの体に長い腕がぐるっと巻きつき引き止めた。


「!!・・は、離してっ」


シャワーで温かくなって石鹸の香りを放つ逞しい腕が、後ろから体を抱きしめてきたためキョーコは体中の血が沸騰したかのように顔を真っ赤にした。


「ごめん・・・ゆっくり・・君の気持ちの整理がつくまで待つって言っておきながら・・・でも、どうしても気になることがあって・・・」


ドクンドクンと強い動機を悟られないように、キョーコは後ろを振り返らずに震える体でいつものように振舞おうとぎこちなく首を傾げた。


「な・・なんでしょうか?」


「・・・・正直に答えて欲しい・・・さっき俺が百瀬さんを抱き上げて連れてきたのを見て・・・どう思った?」


途端、キョーコの心臓は悲鳴を上げそうなほど一際大きく脈打った。


「っつ!・・・ど・・どうも・・・」


「嘘つきだな・・・あんな表情してくれたのに」


「あ・・あんなって・・・どんなですか・・・」


「自分が一番よくわかっているくせに」


ぎゅっと抱きしめられたまま、蓮の低い声が吐息と共にキョーコの耳をくすぐった。
心の内に騙して隠しておいた感情を引き出そうとする蓮から、キョーコは必死に逃げ出そうとしていた。


「つ・・敦賀さん・・・は、離して下さい」


「答えるまで離さない」


背中に当たる温かく筋肉質な蓮の体の感触と、返事ができない質問にキョーコはパニックになった。


「お、お願いですからっ」


涙声を出すキョーコの後頭部を蓮は、じっと見つめた。


「じゃあ、質問を変えようか・・・」


スル・・・っと腕が解かれ、キョーコは軽くなった体に安堵のため息をついた。
だが、蓮からの質問に息をヒュ・・っと飲んだ。


「俺のこと・・・気になってきてくれている?」


「!!・・・・・・・・」


キョーコはしばらく息をつめたままゆっくりと振り返り蓮の顔を見つめていたが、真っ直ぐに見つめ返され観念したようにキョーコは小さく小さくよく見ていないと気づかないほど小さく首を縦に動かすと蓮の口元がふよ・・っと動いた。


「っつ!!」


そして、少し顔を赤らめて満面の笑顔を・・・破顔と思われる甘く神々しい笑みをキョーコに見せた。
その笑顔にキョーコも当てられさらに真っ赤になった。


「なっ!?そ、そんな顔反則です!!」


「そんな顔って・・酷いな・・・大体、これでも結構我慢したんだけど・・・」


「は?」


安堵と共に漏れ出る蓮の本音に、キョーコは目を丸くした。


「男慣れしていないところとか分かって・・・ちょっと安心した・・というか・・」


「え?」


「だって・・普通、結婚目前だったのならそれなりの事があっても可笑しくないだろうから・・その・・・他の男で慣れていたら・・・ちょっと・・悔しい・・というか・・・」


「??・・・・・も、もしかして・・私の前でワザとシャツを脱ぎました?」


「うん?」


「ワザと後ろから抱きついたり!?」


「・・・・あれ?ばれちゃった?」


イタズラがばれた子供のように無邪気にコテンと頭を傾げた蓮に、キョーコはむっとした表情で一礼した。


「・・・失礼します・・・」


「待って!・・ごめん・・もしかして君が俺を意識してくれてるんじゃないかと思ったら我慢できなくて・・・」


細い手首を掴んだ蓮は、急にしょげ返った表情になった。
それがどうにも可愛らしくて、キョーコは固まった。


(なっ!?これも作戦!?)


シャワーから上がったばかりで、髪もいつものようにしっかりとセットされていないため余計に捨てられた子犬のように見えキョーコはそれ以上蓮に対して無下に出来なくなっていた。


「・・・だから・・まだ、行かないでくれ・・」


もう、意固地になっていた心がぽっきりと折れそうだった。


「わかり・・ました・・・お話のお相手だったら、しばらくご一緒させていただきます」


「うん!・・そうだ、そういえば社さんが・・」


掴んだキョーコの手を引いて二脚ある一人掛けソファーに促すと、蓮は嬉しそうに話し出した。
それをキョーコも笑顔で聞いたり、最近あったことを話したりした。

他愛もない会話をしているうちに、二人の間にあった小さなわだかまりは薄らいで時間はあっという間に過ぎていった。


『最上チーフ、クリーニングが出来たそうです』


そのため、コンシュルジュデスクからインカムに連絡が来るまで夢中で話し続けていたことに気づかなかった。


「あ、すみません・・ちょっと取ってきます」


「ああ・・うん」


なんともいえない寂しさが湧き出ながら、キョーコは切り替えて立ち上がると蓮に一礼をして部屋を後にした。
一方蓮はあまりにあっさり立ち去ったその姿に、自分だけが先ほどの時間が永遠に続けばいいと願っていたように思え小さな重いため息をついた。
その瞬間、部屋の呼び鈴が鳴った。

蓮は急いでドアに向かった。
何か用事を思い出したキョーコが戻ってきたと思ったからだ。


「何か忘れ物?・・・!百瀬さん・・起きて大丈夫!?」


そこに立っていたのはまだ顔色の優れない、百瀬 逸美だった。
小さな落胆を見せないように蓮はドアを大きく開けた。


「すみません・・・ご迷惑をおかけしてしまって・・・部屋に残されたメモで敦賀主任がこちらにいらっしゃるとあったので・・・」


蓮はメモなど書いた覚えがなかった。
書置きを残したのはきっとキョーコだろう。
いつ目が冷めてもいいように、起きた時に不安にならないように。
蓮はその心遣いに改めて感心した。


「本当に申し訳ありませんでした!!」


「いいよ、気にしないで・・それよりも頭を上げないとまた貧血で倒れちゃうよ?」


蓮がそっと百瀬の肩を掴んで顔を上げさせると、百瀬はじっと蓮を見上げた。


「主任が・・・何か悩まれているのって・・・コンシュルジュの最上さんのこと・・・ですか?」


「え!?」


「すみません・・・先ほどここから最上さんが出てこられるのを見てしまって・・・」


急に投げかけられた百瀬の言葉に、蓮は曖昧に返事しながら頬を掻いた。
しかし、百瀬は真剣な表情で少し俯いたまま重ねた手をぎゅ・・と握り締めた。


「・・・私・・・敦賀主任がいつも仕事にはすごく厳しい姿を、本社でずっとお見かけしていました・・・」


百瀬の独白を蓮は、そのまま聞くことにした。


「その時は、いつも孤独に戦っているような印象を受けました・・・でも、本当はすごく優しいことも知っています。私たち受付の仕事は営業の方のように外を歩き回って必死にお仕事をされている人たちにとったら楽な仕事に見られがちなのに・・・敦賀主任は・・・『君たちの笑顔のお陰で、外から来られたお客様の態度が軟化して商談が上手くいったよ。ありがとう』って言って下さいました・・こんな人の下で仕事できたらって思いました・・・本社で移動の話しが持ち上がったとき、自ら志願したのは敦賀主任の下で働きたかったからです・・どんな小さな仕事の私たちにも、気をかけてくれる敦賀主任の下で働きたかったんです・・・」


「・・・・がっかりした?こんな奴で」


蓮の言葉に百瀬はブンブンと頭を強く振った。


「でも・・トラベル企画で敦賀主任がお仕事されている姿を間近で見ているうちに・・・もっと私たちに頼って欲しいって思っていました・・・本当に孤独の中で戦われていて・・・それが・・最上さんのお話しを社さんとされているうちに、敦賀主任の孤独の壁がなくなっていくのを感じました・・・ずっと見ているだけでだった私には出来なかったことを・・・最上さんは半年ほどで敦賀主任の仕事に対する姿勢を180度変えられてしまった・・・それと同時に敦賀主任が時折、苦しそうな表情をされていることにも気づいて・・・・それで・・・最上さんは一体どういう人なのかお会いしたくなって・・・」


「百瀬さん・・・・・」


蓮の途惑っている声を聞いても、百瀬の心は揺らがなかった。
百瀬は意を決して顔を上げた。


「・・・・私・・・敦賀主任のことが・・・好きです!・・・・きっと・・・敦賀主任がお礼を言って下さった時から・・・だから・・・そんな苦しそうにあの人を想っているなら・・・私っ」


大きな瞳には今にも零れ落ちそうなほどの涙が溜まっていた。
百瀬が一つ瞬きをすると、それはいともあっさり頬を伝っていった。
その言葉と表情に嘘がないことは明白で、蓮は呆然となった。


「百瀬さん・・・俺は・・・・」


こんなに真剣に言葉をぶつけてくる相手になんと返したらわからず言いよどんでいると、人の気配を感じて蓮は顔を百瀬から外した。
そして目を見開いた。

その瞳には、クリーニングを終えた蓮のスーツを持って立ち尽くすキョーコの姿が映っていたのだった。



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