Operetta 9 (Tempo2.0・sunny)
朝食が終わる。
いつまでもその場所に座っている訳にもいかず、しかし散歩をするほどの時間は無い。
キョーコ自身の身支度はすでに整っており、あとは出かけるだけなのだがホテルを出るにはまだ早い。
そんな事を思いながらホテルの時計に目をやり、次に蓮を見た。
「あの……」
蓮がそれに対して「何?」と問うと、キョーコは言葉を続けた。
「少し時間があるので、私の部屋で時間をつぶすというのは……」
気を使ってというのが半分、先ほどの『出会った』件についてもう少し詳しく聞いてみたいの半分での言葉だった。
蓮はそれに対して小さく息を吐き、少し困った様子で答える。
「最上さん、君……昨日、俺が言った意味を本当に分かってる?」
「え!?」
「自信ないんだけど……ていう話なんだけど、さすがに密室に二人きりという話になると……ね?」
キョーコは小さく「あっ」とつぶやき、そして思い出し真っ赤になって俯く。
男を知らない初心な仕草が愛おしい反面、本当に危ういなとも感じる。
蓮が少し身を乗り出して手を伸ばしその柔らかさと熱に触れると、キョーコは恥ずかしそうにしながらも心地よさに抗えない様子で、子猫の様に目を細めてそれを受け止める。
触れられる事に少し慣れてきたのかもしれない。
蓮がその手をそっと離し元に戻すと、キョーコはゆっくりと視線を上げて彼を見る。
そこには先ほどと同じ、少し困った顔があった。
「正直ギリギリなんだ。俺はね、君が想像しているよりもずっと君のことが好きなんだよ」
「……はい」
「それでも部屋に入れてくれるの?」
キョーコはとっさに否定しようとしたのだが、なぜか声にはならなかった。
蓮はその様子に少し驚く。
「嫌じゃないの?」
嫌かと問われれば否という答えが一瞬よぎる。
かといって、良いのかともし聞かれたなら、何をと聞き返すしかきっと無い。
これが一緒にいたいのかと聞かれたなら、否定する材料も無い。
キョーコにとっては未知の話であり、多少の知識があったとしても、蓮の自信の無さがどの程度のものを指しているのか漠然としたイメージなのだ。
それは、ただ想像するだけでも破廉恥だと声を上げたくなるものなのだが、蓮の声色には真剣さと誠実さが含まれている為にそれも出来ない。
蓮はキョーコに拒絶そのものの色が無かった事に対して、柔らかで嬉しそうな表情を浮かべて優しく声を出す。
「大丈夫、今日はいいよ。今日はね」
「今日は……ですか?」
「でも…… あ!そういえば最上さんは、こっちの仕事はいつまでなの?」
「えっと、私の仕事は明後日までなんですけど」
「うん。明後日は俺とデートだったよね?」
「違います!ただの番組収録ですよ」
照れもあってちょっと強めに言うのだが、蓮は「分かってる、分かってる」とニコニコしながら、あまり気にしない様子だ。
明後日はパリの名所、ノートルダム教会、サント・シャペル教会 等を巡りながら、主に街歩きを中心に撮影をする。
それは実際に確実にお仕事の筈なのだが、『二人でパリを楽しんで』というのがそもそもコンセプトにあるので、カメラさえなければデートに限りなく近いものなのかもしれない。
ちなみにパリでの撮影は明後日が最終日だ。
「その後、私は1日休暇を頂いているので、それから帰国します。
折角の機会なので、色々見て勉強をという事務所のご好意なんです」
「確かにこっちは刺激が多いし、これからの演技にも何か役に立つことがあるかもしれないね。
昨日のルーブルもだけど、今日のガルニエもかなり煌びやかなところだし、ついでにベルサイユ宮殿まで足を伸ばしたらお姫様の演技も完璧かもしれないよ?」
「ベルサイユ!!」
そのキーワードにキョーコのトキメキスイッチがオンになる。
バロック建築の煌びやかな宮殿。豪華絢爛の極致。
美しい悲劇の王妃マリーアントワネット。
バラの咲く庭園の中をドレスを着たキョーコは、歓喜の歌をうたう鳥や蝶と共に軽やかにステップを踏む……
……というところで、クスクスと笑う声が聞こえ我に返る。
「わ、笑うなんて酷いです!」
「いや、ごめん。君があんまり楽しそうだったのでつい」
「……敦賀さんのいじめっ子」
「でも、拗ねた顔も可愛いよ」
「な!?なんですぐに……もう、本当にあなたって人は」
怒ったり笑ったり、もっと色んな表情を見たい。
喜んでいるところもみたいけど、泣いているところも啼いてるところも見たいと思う。
こんなに貪欲な気持ちになるのはどうしてだろうかと考えたところで、それは愛という他に言葉はない。
社がここにいれば、いつまで経っても小さな意地悪をしてしまう事を、お前は小学生かと突っ込みそうだが、子供なら邪な感情は抱いたりしない。
この欲求は大人だから込み上げるものだ。
「ねえ、最上さん」
「はい」
「明後日は同じ仕事だけど、明日の朝は残念ながらここには来れない」
「……はい」
そこでキョーコは、明日の蓮の仕事を思い出す。
明後日は同じ仕事だが、明日はいよいよショーの本番だ。
午前中にリハーサルがあり、午後にショーが行われる。
非常に慌しい一日を送る事は想像に難くない。
――そっか、明日は来ないんだ
元々蓮の宿泊先はここでは無いのだから、ここにこうして朝の早い時間に一緒にいる事が例外であって、時間が無ければ当然無理な話なのだ。
昨日と今日、賑やかな朝の時間を過ごしたキョーコは残念な気持ちになるのだが、気持ちを切り替えてキュッと笑顔を作り蓮を見る。
「いよいよ、明日ですものね」
笑っていても寂しいという感情が奥に見えるキョーコに、蓮の胸が愛おしさにキュッとなる。
「うん、ちゃんと見ててね」
「はい!もちろんです!」
「明日だけでなく、もっと先まで」
「敦賀さん……?」
その時の蓮は、今まで見たどの表情よりも真剣なもので、
「朝は無理だけど夜にはここに来るよ。
だから……もし、俺を拒む気持ちが無いのなら、その時には部屋に入れて欲しい」
その懇願にも似た言葉に、キョーコは高鳴る心音を耳元で聞いた気がした。