ずっと傍にあったもの 7 (Tempo2.0・sunny)
その日の撮影が終了して、ホテルに戻った久遠はキョーコのいる部屋をノックをする。
すると、愛おしい顔がそ~っと出てきた。
久遠は最初なんとも微妙な表情をしていたが、決心したかのようにストレートに「ごめん」と言って頭を下げた。
「あの……別に良いですよ?」
やさしく頭上から声が降ってくる。
顔を上げると、そこには柔らかく微笑むキョーコがいた。
「えっと……部屋に入っても?」
「ええ、もちろん。別にかまわないというか、元々あなたの部屋でもあったので遠慮はいらないんですけど」
久遠がこの部屋のドアを開けることが出来なかったのは、罪悪感と怯えからだ。
キョーコが絶対に入るなといった訳ではない。
そんな事にも気づかないほど、目の前の彼女に嫌われる事が怖かったのだ。
「全く……俺はいつまでたっても成長しないな」
久遠は、ふう……と大きくため息をつきながらそう言う。
「そうですか?」
「いつまで経っても君を傷つける」
その言葉にキョーコは意外そうな顔をして、小首をかしげながら言葉を繰り返した。
「そうですか?」
「そうですか……って、そうだろ?日本にいる時もそうだし、今だってそうだ」
途中で自分に対しての呆れが入った口調になったのだが、キョーコはそんな久遠に対してクスリと小さく笑って答えた。
「今回の事、凄く驚きましたけど別に傷ついてませんよ?」
「本当に?」
「ええ、あなたがコーンだったという事は、凄く素敵な事だと思いますし嬉しかったです。日本での件も置いて行かれちゃった事は悲しかったですけど、想いを寄せてくださった事は勿体無くも嬉しいと思いました」
「じゃあ、なんで!?」
自分がコーンだと分かってからのキョーコの様子は、明らかに変だったじゃないか?
あれは怒っている以外の何だというのか?
蓮が真剣な顔で問うので、キョーコも凄く真顔で答える。
「怒ってないです。ただ、なんか負けたみたいで凄~~~~~く悔しいだけです」
「はい?」
「だってそうでしょ?私ばっかりいつも振り回されてる感じで、悔しい以外のどんな感情を持てというのですか?」
「え?いや、でも、俺だって君に結構振りまわれていると思うよ?」
そう言いながら、久遠は日本での日々からざっと振り返る。
目の前の可愛い愛おしい小悪魔ちゃんは、天然のスキルで恋する男の気持ちを随分スルリスルリとかわし、そりゃあもう翻弄してくれた気がするのだ。
もちろん、キョーコにその自覚は一切無いわけだが、それが逆に罪深いとも言えやしないだろうか?
しかし、キョーコは譲らずキッパリと答える。
「いいえ!騙されたり振り回されたりばっかりしてたのは、私のほうです!」
「そ、そうかな?」
「そうですよ!」
どうにも納得いかない久遠なのだが、あまりにもキッパリした口調に次の言葉は出ない。
その様子を見ながら、キョーコは握りこぶしで力強く言葉を続けた。
「だから、絶対に『復讐』します!」
出た言葉は穏やかではないが、言った時の顔は実に晴れやかで笑顔だし、むかし彼女から聞いた『復讐』の言葉に比べたら、随分と可愛らしい響きがした。
思わず久遠の表情が緩む。
「それは随分と怖いね」
クスリと笑いながら言うと、キョーコは頬を膨らませてム~っと不満そうな表情をする。
「そうですよ。全く、私が何のために自ら乗り込んできたと思ってるんですか?なのに、あなたは驚きもしないし」
「いや、本当は凄く驚いたよ。君のほうから来てくれるだなんて思わなかったから」
本当に驚いた。
ただ、それよりも会えた嬉しさが勝っただけの事なのだ。
「そんな事ありません。いいですか?さっきあなたは『成長しない』って言いましたけど、あんまり変わっちゃダメですよ?これ以上、成長されたら追い抜けないもの」
「俺を追い抜きたいの?」
「当然です!」
「じゃあ、俺はもっと成長しなくちゃ」
「なんでですか!?」
「そうしたら君にずっと追いかけてもらえるから。地球の裏側だって来てくれそうだから」
自分に対するキョーコの執着が嬉しい。
彼女の気持ちが自分から離れないのなら、どんな事でもできるかもしれない。
追い抜かれるのも楽しそうだ。
でも、本当は追い抜かれるよりも一緒に手を繋いで歩きたい。
「相変わらずいじわるですね」
「そう?君は……変わったね」
「そうですか?」
「前よりも、もっと良い女になった」
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結局、その夜はそれぞれのベッドで眠った。
朝起きるとテーブルの上に書き置きがあり、キョーコが外出したことを告げる。
「そういえば、今日はオフだったか……」
撮影があった久遠は、支度をして現場に向かった。
その日は一日、かなりハードなスタントがあった為、ただただ心身共にそれに集中した。
撮影は夜になるまで行われ、結構な疲労を抱えてホテルの部屋に戻ったのだが、キョーコはまだ戻ってきていない。
時計は9時を指していた。
「そういえば、遅くなるかもって書いてあったっけ?」
朝のまま残されたメモを指でそっとなぞり、数歩移動した先にあるベッドに重力に任せて横たわった。
仰向けになり一人で部屋の中をぐるっと見る。
キョーコがいない。それだけで、取り残された気持ちになった自分に苦笑した。
彼女がこっちに来るまでは長い間会えなかったというのに、手が届く距離にいると思うと、ちょっと姿が見えないだけでこの様だ。
「もう、離したくないなあ……」
本音が部屋の空気に溶けた――。
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「ん……?」
久遠はゆっくりと目を開ける。
疲労はほとんど取れており、時間が随分と経過したことを物語る。
窓の方を見ると、カーテンの隙間から光がこぼれていた。
「え、朝!?」
どうやら自分はそのまま眠ってしまったらしく、しかも眠りが随分深かったせいか、一度も目が覚める事が無かった様だ。
そして、反対側のベッドを見るが、そこは変わらず空で、
「最上さん?」
まさかキョーコは一晩中帰らなかったのかと、驚いた久遠は勢いよくとび起き、部屋をぐるりと落ち着き無く歩き回る。
テーブルには昨日同様メモが存在していた。
しかし、そこにある内容は変わっていて……
メモを手に取り、安堵のため息をつく。
「……帰ってきたなら、起こしてくれれば良かったのに」
それから、2時間後。
久遠が現場に到着すると、キョーコはちょうど撮影真っ最中だった。
昨日の久遠もそうだが、この映画にはアクションシーンが多い。
キョーコはヒールを物ともせずに走ったかと思うと、追ってきた男達の前で高めの障害物をヒラリと越える。
軽い身のこなしで不適に笑うキョーコはカッコ良かったが、越える前にタイトめのスカートの裾を引き裂いて、絶妙な肉付きが美しい白い太腿を魅せるものだから、それは恋する男としては非常に困る。
そう、色んな意味で。
撮影が終わったと同時に声をかけようとするのだが、それよりも素早く別の男がキョーコに近づいた。
「キョーコ!」
「先生!」
そう、その男の正体はいうまでもなく……
「父さん……」
嬉しそうにクーと話をするキョーコは、それはもう本当に可愛らしい。
先ほどのシーンを褒められたのだろうか?それこそ綺麗な花が咲いた様に嬉しそうに笑い、文句無しの可愛さだ。
もう、可愛さランク世界一と言ってもいい。
ただ、それが自分に向けられたものじゃない事が、非常に気にいらない。
久遠はぐるぐると考える。
彼は今回の映画の撮影に参加していない。
この辺りで別の撮影でもあったのだろうか?いや、確か違ったはずだ。
記憶では、ここ一週間ほどオフだったはず。
ああ、だからわざわざここに来たのか?そうなのか?
それにしても、最上さんの表情はどうだ?
あれは俺と会った時よりも、ずっと嬉しそうじゃないか?
そんな感じで思考の坩堝に陥っていると、いつの間にか目の前にはよく知った顔があった。
「なんだ、久遠?そんな顔して」
「父さん……何故、あなたがここに?」
「私がかわいい娘と……息子に会いに来て何が悪い?」
「いや、最上さんはあなたの娘じゃないでしょ?ていうか、明らかにいま『息子』はおまけみたいに言いましたよね?間がありましたよね?」
「久遠、世の中の父というものは娘の事を目の中にいれても痛くないというものなのだよ?」
「最上さんはあなたの娘じゃないでしょ?」
「私の中ではとっくに娘だが?あ、キョーコ。さっきお前は『先生』って言ったな?違うだろ?昨日もあれほど言ったのに、私の事はなんて呼ぶんだったかな?」
「お、おとうさん?」
「あ~~~!もう、お前はなんて可愛いんだ!絶対に他所へなんか嫁にやらないぞ!あははは!」
「も~、おとうさんったら!」
なんだろう?目の前の悪夢は。当の本人たちは幸せそうだが、これは間違いなく悪夢に等しい。
キョーコは嬉しさを前面に押し出した笑顔で、クーはそんな彼女を抱き上げてクルクルと回ってる。
――ていうか昨日?最上さんは昨日父さんに会ってるのか?
もしや、彼女が言っていた『復讐』とはこの事じゃないのかと思えるほど、久遠はモヤモヤとした気持ちになるのだが、そんな息子の気持ちを知らないクーは、キョーコに嬉しそうな笑顔でなおも話しをする。
「あ、そうだ。キョーコ、例の件はちゃんと進めておくからな」
「?」
「ありがとうございます!急に私が言い出した事なのに……」
「ストップ!水臭いぞキョーコ。可愛いお前の為ならこれぐらい朝飯前だ」
「おとうさん、ありがとうございます!」
「なんの話?」
急に秘密めいた匂いのする話に、久遠は割ってはいる。
それに対して二人は顔を見合わせ、くすくすと笑いながら内緒というばかりだった。