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シアワセの輪郭 (海は凪ぐのに。・honeyさん)

重厚なアールデコ調の扉が開けられ、部屋へ案内される。

―ああ、ここへ来るのは久しぶりだ。

あの日の記憶が鮮明に蘇る。

紳士は、上品なダークグレイのフロックコートを脱ぐと、スタッフに預けた。

「お久しぶりでございます。ご滞在はおひとりでよろしかったでしょうか?」
フロントで聞かれた言葉を反芻しながら、紳士は自分がひとりだと言う事を噛みしめる。

以前は傍らに最愛の人を連れて、ここに来ていた。
ゆっくりと二人の時間を楽しんだ。
日々の喧騒とは遮断され、優雅な音楽と香りと調度に、二人の頬は自然と緩み、会話が弾んだものだ。

シャワーを終え、部屋着に着替えると、ルームサービスで頼んでおいたスコッチを開ける。

瞳を閉じるとあの日の君のドレスの繊細なレースのひだの模様や、睫毛をぬらす雫も思い出された。


―自分は、幼かったな。

君の柔らかな肌も、くるくる変わる表情も自分のものだった。

なめらかなバターを撫でるナイフのように君の肌を探ったこの手も、今は空を掴むばかりで。

紳士は苦笑すると、スコッチを口に含む。
苦く芳醇な香りが、引き戻す記憶の輪郭を必死でかき集める。

明日は機上の人となってしまう自分の心残りは、彼女のことだった。
こんな後悔を手にアメリカに戻ることになるとは思ってもみなかった。

―どうしてあの時手を離してしまったのだろう。

自分には自信が無かった。

自分の闇に一生彼女を付き合わせることなんて。彼女を浸食してしまうような恐れがあったから。

自分から思いを告げたのに。自分から手を離してしまったのだ。

『あなたはひどいです。もう私は貴方の色で染まっているのに。貴方のことを考えただけで息がつまりそうに苦しいのに…。』

―俺もだよ。俺も苦しい。

気付けば、年甲斐もなくぽろぽろと涙は零れて。

バカラグラスをカウンターに置いて、優雅にまぶたを拭うと紳士はすっと立ちあがった。
顔にも手にもそれなりの年齢が刻まれて、あれからの年月を嫌でも紳士に自覚させる。



-俺はいつだってひとりなのか…。


ざっくりと背中に傷を負った獣のごとく、紳士はベッドに横たわる。

酔いがようやく浅い眠りを導き、幸せだった夢の中を垣間見せる。

『ふふ…。』

『寝顔が見れちゃうなんて、シアワセな特権ですね。』

-あぁ…そうだね。幸せすぎて…。

『社さんからお電話ですよ。起きてください。』

君の手が髪を撫でる。

-このままずっと眠っていられたら…いい。


「もう!私が電話に出るわけには、いかないンですよぉ…。」

-!あ!

「キョーコ!?」

「はい? 」

がばりと起きるとそこは、夢の中で俺が過ごしたホテルの一室で。
同じベッドの中でお互いシーツにくるまっていた。


君が首をかしげながら携帯を俺に押しつける。

「ごめんなさい。うっかり電話に出てしまって、社さん、折り返し連絡して欲しいっておっしゃってました。」

君は滑らかな肩を見せたままシーツにくるまっている。

-夢…。あれは、もしもの夢。

「どうかされましたか?」

「何でもないよ。」

「でも…。」

「ん?」

君が俺の目蓋を指でたどる。
「涙…泣いてらっしゃっるんですか?」

「…!」

俺はもう一度何でもないと言うと、電話を受けとる振りをして君を抱き寄せた。

「…ごめん、キョーコ。幸せすぎて泣けてきた。」

「もう…。私の旦那様は甘えん坊ですね。」

そう呟いて彼女が俺の髪をまた撫でる。

「俺と一緒に歳をとってくれる?」

「…急にどうしたんですか?そのつもりだから、ここにいるんじゃないですか。」
彼女がぱっと開いた左手には俺と揃いのマリッジリング。

「ずっとそばにいてくれる?」
薬指にキスを落とす。

「ふふふ。どうしたんですか。」
今を確かめたくて口付けた君の肩は、温かくて甘い香りがした。

「あ!電話は…。」

「こっちの方が大事だから。」
不吉なもしもをかき消すように、さらに君を抱き寄せる。

―もう、離さない。

―同じ過ちは繰り返さない。

再び鳴りだした携帯の電源を切って放り投げると、
俺はきつく君を抱きしめる。

…シアワセの輪郭をしっかりと掴むように。

Fin

コメント

蓮さんの心の中の迷いが夢になり、それにより、「大事なものを手放したあと」のことがリアルになった蓮さん。

後々考えれば、悪夢ではなく、よい夢と言えるかもしれませんね。

最後にキョコさんに甘える蓮さんが可愛いかったです。(迷子状態から抜け出した僕ちゃん状態から、夜の帝王化の流れも素敵)

まさかの!別の方の夢オチでほっとしました~。
その後の蓮さんの甘えっぷりが夢の不安を表していて、より二人の結びつきが強いことを感じますね。
何気にキョーコの「旦那様」発言に読んでてニヤリとしましたw
素敵なお話ありがとうございました!

初コメント失礼しますm(_ _)m

幻想的で切なくて、甘さを残したほろ苦さの余韻が残る前半にドキドキしました(*´Д`*)

夢おちで良かったー><

幸せすぎて泣けてしまうって素敵ですね(*´ω`*)

もしもの夢は現実にはきっと起こり得ないと、この二人なら思えます^^

とっても素敵なお話、ご馳走様でした!

*皆さま、コメントありがとうございます></*
嬉しすぎてhoneyはもうPC上を駆け回りたい勢いです。(無理)

> 魔人 さま

はじめまして。
とっても丁寧なコメントありがとうございます。

初老の紳士蓮さまが書きたかったんです。夢落ちの。
すごく後悔して、でもそれはきっと不幸ではなくて。
幸せを再確認する儀式のような夢を書きたくて頑張りました。

ラストは、なだれ込んでしまいました。桃色風味がうまく書けず書きながら自分が悶えてました。
ホントにありがとうございました(^^♪

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>霜月さうら さま
>まさかの!別の方の夢オチでほっとしました~。

はい。私も最初「夢落ち部門」に立候補して、はたと気づいたジャンル違い。
ここはゴージャスな中に佇む初老の(←ここ重要)蓮さんが書きたかったんです。
もちろんパートナーはキョコちゃんしかあり得ないので。素敵な旦那さまで。
かなり希望が入ったお話になってしまいました(汗)。

こちらこそ嬉しいコメント御馳走様でした。m(__)m

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>えみり さま

まさかのこのスペースでの夢落ちです。sunnyさんとも相談して、
こちらに投下させていただいたので、みなさんを驚かせてしまったみたいです。

基本ハピエン好きなので(でも切ないのも好物です。)
シアワセ輪郭が辿れたらいいなぁと。本誌の二人も!!

コメント、本当にありがとうございました。(^_^)